「Sailing days-14」 高校を中退してからの料理修行の日々はあっという間に過ぎていった。 社会人になると時間の流れが早くなるってのはどうやら本当だ。 四季の移り変わりを店のメニューで感じながら、めまぐるしく時が遷る。 ゾロは無事に卒業し、隣県のＷ大に入学、 ナミさんは１８歳になる２ヶ月前に、元気な男の子を産んだ。名前はルフィ。 もちろん俺は風の噂に聞くだけで、ナミさんにもそのガキにもゾロにも会ってはいない。 その一月前の４月１日にキーナ姉ちゃんが男の子を産んで、俺は１８で叔父さんになっちまった。 おかしな顔を、というより鼻をしたガキだが、なかなかどうして愛嬌がある。 初めての甥ウソップを抱いた感触は、何だかおっかなくて、壊しちまいそうで。 恐る恐る腕に抱くと、そいつは父親そっくりの顔でニヤッと笑った。 あ〜あ、女の子だったら良かったのに。 バラティエが、クソ忙しくなる夏が又やってこようとしていた。 今日は店は定休日、たまの休みにはやっぱ自宅の縁側ででれーんとしていたい。 大体俺、働き過ぎ。学校行って進学でもした方が人生まんま楽だぜ。 何だってこんな苦労する道を選んじまったんだか。 「うー！休みはいいなあ・・・」 庭を眺めながら寝転がって、伸びをする。 普段立ちっぱなしだからな。 梅雨が明けて、庭の木々が濃い夏色を見せ始める。 爽やかな初夏の風が入るこの縁側は俺の家で一番気持ちのいい場所だ。 自然と瞼が落ちてくる昼下がり。 ドガッ！！ 「いってーな！何しやがんだ、クソジジイ！」 突然脇腹に義足の蹴りが一発入った。 いちいち確認しなくても判る、もう１０年近く喰らっている蹴りだ。 「いい若いもんが昼間っからゴロゴロしてんじゃねえ！」 「たまにはいいだろ。休みなんだからよ。」 寝転がったまんまの俺にジジイが鬼みてーな顔ですごんできやがる。 けどその顔ですら、慣れたもんだぜ。 「休みだからって修行中のもんがのんびり昼寝なんざ１００年早いぜ。 だらだらしてる暇があったら、仕入れ先廻って野菜畑の様子でも見てきやがれ。」 うえー、やだ。 たまにはゆっくりさせろ、クソジジイ。 でも実をを言うと休日だろうと、何だろうと、新米コックが家でゆっくりしてる暇はねーんだよな。 修行中のコック達は他店の試食や、自分の料理の研究に、給料と休みの大半を使いつくす。 「ちぇ、判ったよ、行きゃいいんだろ、行きゃ。」 「おう、今日はティティが亭主連れて晩メシ食いに来るから、早く戻れよ。」 「判ってらあ。」 店ではオーナーと新米コックだが、自宅に戻ればやっぱり親子だ。 口の聞き方も態度も以前と変わりなく、・・・険悪だ。 俺が起き上がって、縁から部屋に上がると、 クソジジイは俺の寝転んでいた場所にどっかりと座り込んで、新聞を広げた。 ああ、そうかよ、要は場所が欲しかったわけだ。 店の帳簿類は自宅１階の小部屋に置いてある。 仕入れ先リストを取り出して、ざっと目を通した。 今の時期作物のチェックが必要な物は・・・と。 まずは夏野菜の出来具合、もうじき収穫が始まるスイカや、メロン、キウィ、 それから夏みかん・・・みかんか、やっぱ行きたくねえ・・・ みかんと言えばうちはベルメール果樹園、あそこは行きたくねーんだよな。 けど、俺もプロなんだから、そんなことは言ってられねえ。 リストをコピーして小さく折りたたみ、ポケットに入れると、買ったばかりの愛車インプレッサのキーを取り出した。 ＊＊＊＊＊＊＊ 白い車体は海岸通りを走り抜ける。 ぐんと吸い付くこいつのアクセルが今の俺の一番のストレス解消。 緩い車の流れに任せて、市街地を抜けた。 信号待ちで停止すると、助手席の窓の向こうには小さなマリンショップ。 「え？」 一瞬視界に入った物が俺の意識を貫いた。 マリンショップの店先に見覚えのあるマーク。 信号が変わるといきなりウィンカーを出して、マリンショップのパーキングスペースに車を入れた。 綺麗に並べられたトレジャーボート、ジャットスキー、ウィンドサーフ・・・ 車を降りると俺は真っ直ぐに１艘のディンギーの傍に歩み寄った。 細い小さな船体、セールは取り外されていたが、懐かしいシート、使い古されたティラー。 そして、見間違えるはずも無い、船体に染め抜かれたエンブレム。 藍色のペイントで描かれたそれは、みかんと風車。 あの夏、俺とゾロに見守られ、ナミさんが満面の笑顔で描いた「みかんと風車」のエンブレム。 俺たちの『みかんと風車号』。 しばらく船をじっと眺めたまま、俺はその場から動けなかった。 ショップの店員が俺という来客に気づき、店内から出てきて俺の横に並んだ。 「いいヨットでしょう、お勧めですよ。」 にこやかな笑顔を浮かべる店員は、頼みもしないのに、俺に船の説明を始めた。 「中古なんですが、メンテはしっかりしてますよ。 　何でも去年の地元ヨットレースで優勝した船だとかで。」 「そうですか。」 そうか、ゲンさんはあのレースの後、この船を売っちまったのか。 それは仕方がない。 俺たちはこの船を夏の間借りていただけなんだから、どこへ売ッぱらおうとゲンさんの自由だ。 でもこのエンブレムを消さずに残してくれたのは、あの人情味の厚いおまわりらしい。 そっと手を伸ばしてジブシートを引いた。 あの夏に手の皮がすりむけるほど、固く張られていたシートは今はダランと緩んでいて、力を失っていた。 見るまいとしても、自然と残像が浮かび上がってくる。 今はもう連絡すらとっていない俺の仲間達。 ゾロはハイキングボードに乗って力いっぱいメインシートを引いていた。 ナミさんは弾ける笑顔で、ティラーを夢のように操る。 海を渡る風、眩しく光る波、水脈を描いて進む、俺達のディンギー。 陸に上がった『みかんと風車号』は海に在った頃の勇姿を微塵も残していない。 俺達はこんな船に乗っていたんだろうか。 こんなにも小さくて危なげな船に。 余程注意深く操らなければ一瞬で転覆してしまうだろう。 まともな神経を持つ者ならば、こんな弱々しい船で海へ出ようとは思わない。 だけどこの船は紛れもなく俺達の夢の結晶だった。 こんなにもガラスのように儚い物だと今になって気づくなんて。 俺達は何を間違えてしまったんだろう。 どうしてバラバラになっちまったんだろう。 この船で来る日も来る日もただ走っていただけだったのに。 はみ出し者の俺達がやっと乗り合った船だったのに。 俺達三人は握っていたシートを放してしまった。 人の手を離れたシートはただ垂れ下がったまま、もう二度と風を捕えることはない。 「あの・・・お客さん？」 「あ、すいません、何でも。」 勝手な想いに沈む俺に店員がおかしな顔を覗かせる。 俺はフッと追憶から意識を取り戻し、その場を取り繕った。 「興味をお持ちでしたら、見積り出しましょうか？」 「いや、結構です。すいません、又来ます。」 俺は逃げるようにその店を出た。 店員は首を傾げて俺を見送る。 車をパーキングから発進させて、車道に戻る。 車窓を開けて風を取り込むと、胸元のポケットから煙草を取り出し、口に咥えた。 たった一年しか経っていないのに、あの海を出て三人、 こんなに遠くに来てしまった。 このまま俺達はどこまで流れていくんだろう。 寄るべき岸辺も見あたらないままに。 ＊＊＊＊＊＊ 海岸線の大きく湾曲したコーナーを、Ｒに合わせてクリアしていく。 この先の信号を右折すれば、そこはみかんの丘と呼ばれる果樹園。 ベルメール果樹園もこの丘にある。 車は右折して、緑濃い丘を上がり始めた。 大して広くないその果樹園は入り口に、「ベルメール」と書いた木造りの表札が張ってある。 孤児になった姉妹達は、母親の死後何年経ってもその表札を張り替えようとはしなかった。 隣接した自宅に向かい、意を決してチャイムを押した。 ここが最後の仕入れ先だ、早くすませちまおう。 ２、３度チャイムを押したが返事が無い。 どうやらナミさんはお留守かな？ その事実に少しホッと胸を撫で下ろした。 まだ彼女には会いたくないから。 諦めて踵を返すと、みかん畑の木の間から、ゴソっと音がした。 「ん？」 「あれ？あんた・・・」 片手に剪定鋏を持って、みかんの木の下からのっそりと出てきた人は、 ナミさんのお姉さま、ショートのワンレン美人ノジコさん。 「あ、どもこんちは。お久しぶりです。お姉様。」 「ああ、バラティエの末っ子。何か用？」 ノジコさんは俺の顔を思い出し、姿勢を戻してエプロンをパンパンと払った。 切り落とされたみかんの葉や花芽が、足元に落ちていく。 「あの、俺今年の夏みかんの出来を見せて頂きたくて。 　もちろん、うちはこちらからしか買い付けしませんけど。」 「あたしがまずいみかん作るわけないだろ、ま、いいやこっち来な。」 俺はノジコさんに導かれ、夏みかんの木が植えてある場所まで丘を上がった。 ここでは大して広くない果樹園に、普通のみかんと夏みかん、二つの品種を作っている。 今流行りの早生みかんやハウスみかんはここでは作れない。 ベルメールさんの遺児には設備を整える金も、ハウスを建てる敷地も無いからだ。 ただ黙々と代々伝わる果樹と味を守っている。 そんなかたくなな姿勢がクソジジイに気に入られているんだ。 夏みかんの畑が近づくと、一面がシトラスの香りで包まれた。 大ぶりに育った実が、収穫される時を待ち、太陽を一身に浴びている。 「まあ、好きなだけ見ていきなよ。」 ノジコさんはそのまま地面に座りこんだ。 みかんの木は充分陽が当たるように、間隔を広く開けて植えられてる。 みかんの丘から木々の間を抜けて、紺碧の海が見渡せた。 収穫間近の実を一つ一つ手に取りながら、よく品定めしていく。 「食べてみれば？それなんかいい頃よ。」 ノジコさんが教えてくれた実をもぎ取って、皮を剥こうとすると そいつは固くて厚い服を着ていて、中々脱がせられない。 「どれ、貸してみな。」 座ったままノジコさんは俺からみかんを受け取り、エプロンのポケットからナイフを取り出した。 実を傷つけないように、上手に皮を切り取る彼女の動作が美しくて、つい見惚れてしまう。 「ほら」と差し出されたみかんの房をもらって、俺は彼女の隣に腰掛けた。 この丘に座って見る海は俺の家から見る海と又違う色を放っていた。 太陽をいっぱいに受けては反射し、眩しい光の洪水みたいだ。 ナミさんは毎日こうして海を眺めては、憧れに胸を弾ませていたんだな。 夏みかんの果肉を口に頬張る。 「う、す、・・・いやうめえ。」 そのみかんはやっぱりまだ少し早くて、俺の口の中にはびっしり詰った酸味が広がった。 果実としてはまだ若いが、この芳醇な香りは多分全国レベルに達してるだろう。 「アッハッハ、無理しなくていいよ、まだ酸っぱいだろ。」 陽光の下ノジコさんは明るく笑い飛ばした。 笑い声とみかんの香り、柔らかな太陽が辺りを満たす。 俺の気持ちもどんどんほぐれていって、こんな美人が隣にいるというのに、 頭の中は、このみかんを使った夏のデザートがいくつも浮かんでいた。 「そりゃ酸っぱいけど、これならどこへ出しても、何を作っても大人気ですよ。」 「判るのかい？」 「こっから先、完熟したときの味がイメージできなきゃコックとは言えねえもん。」 「へえ、ああそういや、あんた中退してコックになったんだよね。」 ノジコお姉さまは軽く指を頬について俺を見た。 この人はとてもナチュラルな色気を持っている。 計算されたものでも背伸びしたものでもない。 身体の内側から呼吸するように、滲み出る大人の女の色香だ。 みかんの丘に二人きり、つい、周囲が気になった。 そういえばナミさんはどこにいるんだろう？ 俺は彼女らの自宅を遠目でキョロキョロと見回した。 「ナミ？あの子ならいないよ。」 「出かけてんの？赤ん坊連れで？」 天気がいいからガキとお散歩か？ キーナ姉ちゃんもお散歩は乳児に大事な日課だなんて、言ってたっけな。 「いんや、叩き出したの。子供と二人でね。」 「ええ？！」 実を言うと俺はずっとナミさんのことが気になって仕方が無かった。 心配だったんだ。 でも彼女に何もしてやれない俺は心のどこかでこう思っていた。 ナミさんにはノジコさんがついているから大丈夫だと。 その頼みの綱であるノジコさんが、ナミさんにとってもたった一人の姉であるノジコさんが・・・ ナミさんを叩き出しただって？ 「叩き出したって、この家からですか？何だって、お姉さまがそんなことを？」 「だあって、あの子思いっきり勘違いしてたからね。 　少し世間の荒波にもまれる意味で、ロロノア道場の玄関先に放り出してきたよ。 　今はあの家で暮らしてる。」 勘違い？何だかよく判らない。 ロロノア道場と言ったって、今あそこにゾロはいない筈だ。 「でも、今ゾロはあの家にはいないでしょ、ノジコさん。」 「ああ、いないよ。今頃ナミったら１８の若さで嫁姑問題の渦中でもまれてるんじゃない？」 「？？？」 ゾロのいない家に何故ナミさんが置いていかれなきゃならないんだろう。 あいつの両親は大概のことでは驚かないと聞いているが、 いきなり１８の娘が赤ん坊を連れて家にやって来たら・・・？ ゾロの子供だなんて言っても信用してもらえるんだろうか。 「あの子はね、とんでもない勘違いをしてんのさ。子供は母親の所有物じゃないんだ。 　そして子供にはたくさんの愛情を受ける権利がある。 　妊娠中はいざ知らず、産まれたからには、ルフィはナミとゾロの子供ってだけじゃなく、 　コウシロウ先生や奥様の孫でもあるんだからね。 　一人で勝手に産んで育てるなんて、世間知らずの傲慢もいいとこだよ。」 「はあ、でもコウシロウ先生はそれでいいって？」 「ああ、コウシロウ先生は話しの判るお方だよ。奥様の方は割り切れない感情もあるようだけど。」 それはそうだろう、やっと大学に入ったばかりの息子に赤ん坊なんて。 ノジコさんがナミさんを厄介払いしたと思われても不思議じゃない。 「幸いにもルフィはゾロの赤ん坊の頃によく似てるんだってさ、 　ほら、あそこんち娘さん、亡くしてるだろ。 　余計かわいいらしくて今じゃ夫婦二人で孫の取り合いしてるってさ。」 俺はルフィの顔を見てないからわからないが、ルフィにはくいなさんの面影があるのかな？ けどゾロのいないロロノア家でナミさんは幸せに暮らせているんだろうか。 「ナミさん、うまくやっていけてんのかな？」 「さあね、あの子は頭のいい子だから慣れない立場でもそれなりにやっていくだろ。 　子育てしながら、道場の経理とか手伝ってるみたいだし。」 「ふーん、そうか・・・」 ナミさんは未入籍の状態で、ロロノア家で嫁としてがんばってる。 都会と海に憧れたナミさんは今あの家でルフィのオムツを替えたり、 おっぱいを飲ませたり、姑さんに気を使ったり。 人生って何がどう転ぶか判んねーもんだ。 「あの子とゾロの絆が試されるのはこれからさ。あたしはじっくり見届けさせてもらう。」 「そっか。」 ふいにノジコさんの細い指先が俺に向かって伸びてきた。 口元に笑みを浮かべてその指が俺の胸元に辿り着く。 「1本くんない？」 「え？ああどうぞ。」 胸ポケットの煙草を指差し、含みありげに微笑んだ。 こういう謎めいた女の微笑にははっきり言って、、、、、、弱い。 動揺を悟られないように、ポケットから煙草を取り出し、一本浮き上がらせる。 ノジコさんはその綺麗な指で俺の煙草を取り出すと、膨らみのある唇に咥えた。 農業をやる人には珍しい、艶やかで真紅のルージュ。 その唇を見ていると、彼女がナミさんの為に水商売をしていたことを思い出した。 学内一の秀才、ナミさんは彼女の自慢の妹だったはずだ。 ヨットレースで優勝したとき抱き合って泣いていた姉妹。 妹のために、ノジコさんは何をどれだけ失い、何を妹に望んでいたのか。 「寂しい？お姉さま。」 「ハッ、あたしが？バカ言っちゃいけないよ。」 俺の手から火をもらって、煙を吸い込むノジコさん。 その横顔に、俺はどこか自分と似た虚しさを感じとった。 「ずっと二人きりで暮らしてたんだろ。」 「ま、あんたは同類だからここで強がっても仕方ないか。」 諦めたように煙を吐き出した。 「・・・あの子さ、あたしの夢だったんだよね。」 「お姉さまの夢？」 「そう、あの子は小さい頃から頭が良くて、あたしも母さんも本当に驚かされたよ。 　海が好きで、航海士になるって言い始めたとき母さんは、ナミの才能を信じて、何とか商船大に行かせようとした。 　懸命に働いて、お金を作ろうとしたけど、結局無理をして出来たのは借金。 　でもね、母さんもあたしもナミに夢を叶えてほしかった。 　親子三人でナミの乗る船で、外国旅行に行こうねっていつも言ってたんだ。 　なのに、あの子は船から男に乗り換えるなんて、つまんない真似しちゃってさ。」 煙草を吹かしながらノジコさんは訥々と語る。 「ゾロはつまんねえ男じゃねえよ。俺が言うのもナンだけどさ。」 「あんたも辛かったね、ナミのこと好きだったんだろ？」 優しくて柔らかい言い草につい、俺の言葉が詰る。 明るい笑顔に隠して、人知れず流した涙を見止めた男はいたのかな。 少し日に焼けた健康的な肌。 ノースリーブの衿から覗く胸元が他の部分よりもずっと白くて、その眩しさにクラクラした。 俺はそのままバッタリ地面に寝転んで、初夏の空に飲み込まれる。 「ああ、すっげえ、好きだった。」 空に抱かれて思いっきり胸の想いを吐き出した。 「あたしもあの子がとっても好きだった。」 ノジコも青空に向かって、妹と共に過ごした１８年の思いを解放する。 俺達は見つめあって、同時に微笑んだ。 「クソ思いっきりフラれるってのも気持ちいいなあ。 　ねえお姉さま、こんな僕を慰めて下さる気ない？」 「うーん、そうだねえ」 ノジコは一瞬考えるフリをして、両手を寝転んだ俺の肩に置く。 艶めいた表情を浮かべてそっと身を寄せてきた。 絡み合う視線はもう友達の姉でも、妹の友達でもない。 俺に覆い被さって誘うのは、これまで知らない大人の女。 「あたしナミより胸大ッきいよ、興味ある？」 「ムチャクチャ興味ある。」 そう言って目の前で強調された張りのある胸が俺の本能をかきむしる。 右手をノジコの首に回し、はやる気持ちを押さえて、ゆっくりと自分に引き寄せた。 ぴったりと重なる唇。 熱く割って入ると、止めようのない欲情に支配された。 初夏の太陽の下、少し汗ばんだノジコの首筋、細く括れた腰のライン。 ノジコの身体からは、ナミさんよりもきついシトラスの香りがした。 舌を絡めあって吸い尽くすその行為の源が寂しさだけとは思いたくない。 ノジコは俺の上に跨って、年下の男へのキスに溺れる。 主導権を握る行動を開始しようかと思ったが、このまま身を任せるのも悪くねーな。 そう思った矢先、彼女の身体がぴくりと固まり俺から離れた。 「え？」 「やっぱやめた。」 ええ？お姉さま？ さっきまで自分が座っていた地面に戻るとノジコはちらりと俺を見る。 「ど、どうして？」 「あんた、女に夢持ち過ぎ。」 そりゃないぜ、この段階でヤメた女は初めてだ。 「そんなあ、お姉さま、俺ってかわいそうな少年じゃねーの？」 「甘ったれた男は趣味じゃないよ。」 あっさりと交わす態度はあの妹によく似ている。 実力を行使してもよかったけど、今の俺とノジコの関係を無理やり壊すのも惜しい。 「第一あんたゆっくりしてる暇あんの？」 ノジコの言葉にはっと腕時計を見た。 ゲっ！仕入れ先を廻ると言って家を出てからもう半日が経ってる。 今日はティティ姉ちゃんとコブラ義兄さんが俺の家に食事にやってくる。 もちろん料理の全プロデュースは俺。 余りにも！！惜しいがここで引き下がることにした。 お土産に夏みかんを２個もらうとノジコのほっぺにお別れのキスをした。 「じゃあね、お姉さま。」 「ああ。」 インプレッサのエンジンが吹け上がり一気に轟音が爆発する。 腕を組んで俺を見送るノジコは、やっぱり妹に負けない笑顔美人だった。 ノジコは妹に別れを告げた。 俺は想い出に別れを告げた。 今年の夏みかんは高くつくぜ。 next