「Sailing days -1」
少し湿った空気が窓の外を流れていく。
窓からぼんやりと眺める学校の外の世界。
緑色のみかん畑の向こうには、青く光る海、散らばる島影。
溜め息が出るほど見飽きた風景でも、美しいと思わせる。
故郷って奴はそんな不思議な力を持っている。
「サンジくん！・・・サンジくん！！」
「・・・・。」
「聞こえないのかね、サンジくん！」
「・・・・んあ？」
ふわふわ飛んだ意識を現実に引き戻すと、眼鏡をかけた数学教師が俺を見下ろして真っ赤になっていた。
気づくのに、随分かかったぜ。
頬杖をついたまま、数学教師を見上げると、逆上して息巻くそいつとは裏腹に、
「いつみても貧相な面だよな」くらいの印象しかなかった。
「・・・なんすか？」
数学教師はとたんにぶち切れた。余り足りてるとは思えない頭から湯気を出し、ワナワナ震えやがって。
カルシウムが足りねーんじゃねーの？
「なんすかとはどういう事だガネ！今は授業中だがね！ぼーっと外ばかり眺めてないで、私の話を聞くだガネー！」
「はあ、すんません。つまんなかったもんで。」
「！！！！」
血圧が上がって、上手く怒りが言葉にならないらしい。
大体、すぐにでも意識が飛びそうになる穏やかな午後に、人に話しを聞いてもらえるほどの人格者なのかよ、てめえ。
「キミ！３時に職員室に来るだガネ！今日という今日は許すわけにいかんガネ！」
クラスメート達がクスクス笑い声を立て始めた。
どうせこいつらも退屈して、何か話題を欲しがっていたんだろう。
チラチラとこっちを眺める女の子達はかわいいけど、野朗共はうざいだけだ。
俺ってこのクラスではとことん浮いてる感じ。
大体なんで学校ってのは人をまとめたがるんだ？
クラス分け、クラブ活動、進学組、就職組、果ては優等生、不良グループ。
どこの集団にも属さない俺みたいのは全く居心地悪くてたまらねえ。
好きなようにふるまっていると、「職員室に来い！」だろ。やってらんねーっての。
とにかく学校と俺ってのはとことん相性が悪いんだ。
こんな箱みてーな所で無駄な時間くってるよりは、店でメレンゲでも立ててた方がよっぽどましだぜ。
３年になってさえ感じるこの違和感。どーにかなんねーもんなの？
第一、皆が当然のように着せられている学ランは、この俺の髪の色と瞳の色に全くもって似合わない。
じゃあなんで入学したかって？
女の子がいっぱいいるからに決まってんじゃねーか。
なんで学ランの学校にしたのかだって？
ブレザーの学校は男子校だったからに決まってんじゃねーか。
終わりを告げるチャイムの音が高らかに響いた。
ああ、この音も嫌いだね。
人を音で動かそうとする奴。
「サンジくん！判っているガネ、職員室に来るだガネー！！」
自分としては目一杯凄んでいるつもりの数学教師が捨て台詞を残して、教室を出ていった。
やれやれ、やっと出ていったか。
クラスの連中は机の上の教材を次の授業の物に入れ替え始めた。
俺は席を立って思いっきり伸びをする。３時っていやあこれから次の授業までの休憩時間じゃねーか。うっぜえなあ・・・
教室の扉を開けてとぼとぼと廊下を歩き出す。
１７歳、高校生活最後の春。
「大体君は一体何だガネ！再三の注意にも係わらず、学校では好き勝手にふるまうわ、バイクは乗り回すわ。
禁止されている夜間のバイトもしておるという、噂だガネ。どういうことだガネー！」
あーあ、やっぱ職員室なんか来るんじゃなかった。
あのままばっくれちまえばよかった。
しれーっとしてると益々こいつの血圧はハネ上がる。煙草吸いてーなあ。
「サンジくん！聞いているのかね？！」
「・・・聞いてますよ。バイクはこの学校じゃ禁止されてはいないし、家業の仕入れ用に乗ってんです。
違反で捕まったことなんかねーし（んなヘマやるかよ）、バイトっつったって家のレストランを手伝ってるうちにちょっと時間が遅くに入れ込むくらいで、金もらって働いてるわけじゃないっすよ。」
クソジジイがやってる店はこの町ではかなり有名だから俺がそこの長男だってのはよく知れた話。
クソやろう、こいつと話してる時間がもったいねーんだけど。
「しかしだガネ、君の普段の学校生活は目に余るものがある。」
「はー？なんか俺、人に迷惑かけてます？」
言ったとたんにこいつはニヤリと笑った。鬼の首をとったようなってこんな顔だろうか。
「迷惑？ああ、充分迷惑を蒙っているガネ。君には頭髪を黒く染めてくるよう、何度も指導しておる。」
「・・・・。」
バーカか、こいつ、んなもの聞くわけねーだろ。なんで持って生まれた髪の色を染めてこなきゃなんねーんだ。
「承服できません。俺は生まれたときからこの頭なんだ。わざわざ黒くしなきゃなんねー道理はねーよ。」
「君のその態度がいかんというのだガネ。そんな反抗的な態度だから、所謂不良グループと同じと見なされる。」
見なすな。
「本校には来月教育委員会の方々が視察においでになる。君のような頭の生徒がいると、すこぶる印象が悪いガネ。」
「・・・やです。」
人権侵害だぞ、このやろー、その教育なんとかって奴ぶっ飛ばしてやりてえ。
なりはこうでも俺は生まれも育ちも日本人だ。
髪のことでとやかく言われる筋合いはねえ。
「来週までに髪を染めてきたまえ。でなければ親御さんに直接お話する。」
てめえ、俺んちのクソジジイにナシつけようっての？そりゃご苦労なこって。命が惜しくないのかね。
「そんなしち面倒なことする必要あんの？俺がクオーターだってのは皆知ってると思いますけど。」
「だから！対外的な問題を言っておるガネ。君がクオーターだというきちんとした証拠があるのかね？」
「戸籍謄本だったら入学の時に渡してますよ。」
バカ教師はふふんと鼻を鳴らした。
「戸籍謄本ね。確かにオーナーゼフは立派な料理人だガネ。この町では知らぬ者がおらんほどな。
しかし、なんだガネ。オーナーゼフは本当に君の父上なのかね？」
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「な、なんということをするだガネ！停学！停学だガネーー！！！」
クソムカつく教師の叫びには片耳さえ貸さず、俺は職員室を後にした。
クソジジイが俺の本当の親父かだって？
知るかよ、そんなこと。それが判りゃ苦労はしねーよ。
戸籍上、俺の母親とクソジジイは結婚してねえし、母親が死んだあと、実子として引き取られた。
嫁に行った二人の姉ちゃん達とは年が離れ過ぎてる。
はた目にゃ、不自然に見えるんだろうよ。ケッふざけんな、余計なお世話だ。
今日はこのままばっくれよ。でもな、中途半端な時間だな。
家に帰っても店は休憩中だし、ＧＦも今は授業中。ゲーセンに行くとそれっぽい連中にすぐ難癖つけられる。
負けはしねーが、うるさいから面倒だ。
階段をとんとん下りていくと、頭の上の方で人の気配を感じた。
「お見事、サンジ先輩♪」
「ナミすわーーん、見てたの〜〜？」
たった今下りてきた階段を振り返れば、そこには一学年下の女の子。
ショートのオレンジ髪がキュートでセクシー、学校始って以来の秀才と言われるナミさんだった。
「あのＭｒ３の机を蹴り上げちゃうなんてやるわね。お陰で私もすっきりしたわ。」
「ナミさんがすっきりするなら、あんな机の一つや二つ、真っ二つにして御覧にいれますよ。」
ナミさんは軽快に俺のいる位置まで下りてきた。横に並んでにっこりと俺に微笑む。シヤワセだー・・・
俺は入学当初から何度も彼女を誘っていたけれど、その度に適当な理由であっさり交わされていた。
でも深追いはしなかった。
ＧＦは常にいるという状態で不自由はしてなかったし、その交わされ方が小気味よくて楽しかったもんだから。
「私だって言われたもん、その赤毛を何とかするだガネー！って。大体自分が残業したくないから生徒を３時に呼びつけるなんて、
教師として怠慢よ。それでついたあだ名がＭｒ３なんてさ、お笑いにもなりゃしないわ。」
「嫌味言わせりゃ天下一品だからね。」
ナミさんは俺と連れ立って階段を下りてきた。俺はそのまんまサボるつもりなんだけど、もしかして誘われてーのかな♪？
「ナミさんもサボり？」
「そうね、もう帰っちゃおかな。つまんないから。」
「ナミさんほどの優等生でもつまんねーもんなの？ガッコ。」
「そりゃそうよ、いくらＴ大間違い無しなんておだてられても、皆と同じでいなきゃなんないなんてやってらんない。」
そういえば、ナミさんが他の女の子と一緒にいる所を校内で見たことが無い。
頭が良すぎて敬遠されてんのかな。確かに彼女はそこらの普通の女の子とは違う目で物を見ているようだ。
高校１年のときから国立大間違い無しと言われているのに、ナミさんは学校の進路指導を一度も受けたことがない。
学校は国立現役合格というデータを残したくて、何度となく彼女にＴ大受験を進めているんだけど本人には全くその気無し。
そんな大学行くつもりはないとはっきり言い放って教師達を慌てさせた。
要は彼女も俺もはみ出し者ってわけだ。
「んじゃ、折角だからどこかでお茶でもどう？オレンジ髪のレディ。」
俺は片肘を突き出して彼女の腕を誘った。
「そおねえ・・・」
ナミさんはあっさり俺の片手を押し戻す。そのやんわりした拒絶の仕方も好きなんだよねえ・・・
「お茶よりもさあ、私先輩にお願いがあんのよね〜」
「お願いー？してして〜〜！！」
「・・・何勘違いしてんのよ。」
つい習慣で飛びつこうとした俺の頬にナミさんのジャブが入った。このはっきりした抵抗も好きなんだよねえ・・・
他の女の子達は俺に誘われてもあんま、はっきり断らない。
ＯＫならそのままついてくるし、ダメでも「ええ〜？どうしよう。」とかってどっちともとれるような態度を取る。
「で？俺にお願いって何？」
「まずは先輩のおうちに連れてって♪それから話すわ。」
ええ〜？マジ〜？頂いちゃうよ、俺。
あ、やべっ、今クソジジイが家にいる時間だ。
じゃあ、どうすっかな、どっか連れださねーとな。
えーっとお・・・
「先輩、何してんの？先行くよー、サンジくん。」
「え？あ？あれ？ナミさん、いつの間に。お待ちになってえ〜〜」
俺が勝手な妄想に浸っている間、ナミさんはとっくに階段を下りて、下駄箱で靴を履き替えようとしていた。
学校でろくでもないことがあった割りに今の俺は上機嫌。
なんたって、ナミさんが俺んちに遊びにきてくれんだもんね。
二人仲良くサボテージュなんて、これはもう付き合ってるようなもんだな。
ナミさんは俺の話に楽しそうにうなづいてくれて、脈ありどころの話じゃない。
幸せ気分で自宅に着くと、玄関に彼女を導いた。
でもナミさんは俺についてこない・・・あれ？
「ナミさん、どったの？」
ナミさんは門扉から中に入らず、海の方を眺めて、キョロキョロしていた。
「ナミさん？そっちは店の方だけど。」
お腹空いてんのかな。でも、今店休憩中だし。
「サンジくん、マリーナ見せてくれない？」
「え？いいけど。」
自宅から庭を隔てた先は俺んちの店、レストランーバラティエ。
海にへばりついているうちの店には海上テラスがある。
俺はナミさんの手を取って海上テラスに隣接したマリーナに案内した。
マリーナにはクソジジイのヨットがとめてある。
でかくはないが、真っ白い船体に青いラインが走ったクルーザー型ミニヨット。
ジジイの趣味だ。
ガキの頃、よくこの船で沖合いに連れ出された。食材の調達の為に。
足を悪くしてからはほとんど俺一人で乗っている。
手を引いて彼女にマリーナを見せると一瞬でその顔が太陽みたいに輝いた。
「うわあ、素敵！これがゼフさんのヨットなんだ。」
「ナミさん、船好きなの？」
「うん！もう大好き！」
海にべったりへばりつかれたこの町で船を持ってる家っての大して珍しくもない。
この町の住人の大半は海に係わっているか、みかんに係わっているかのどちらかだ。
「私んちみかん農家でしょ、みかんの丘からいつもこの船が出航していくのを見てたんだ。」
船体に駆け寄り、愛おしそうに船縁を撫でるナミさん。かわいい！お願いってのはこのことか。
「乗ってみる？」
何気なさを装って聞いてみる。
「うん！！！」
言うが早いか、ナミさんは差し出した俺の手には目もくれず、軽快に甲板に飛び乗った。
とたんにウインチに触ったり、帆を眺めたり、舵を回してみたり。
どうやら彼女の船好きは本物みたいだな。
普通船の上でこれだけ軽快に動ける女の子はそういるもんじゃない。
グガー・・・・船の上からは轟音が響いてくる。
スタスタスタ・・・ナミさんが船上を走り回る。
グガー・・・・
スタスタスタ・・・・・・・
「ウゲっ！」
「ねえ、サンジくん、この船３０フィート無いわよね。」
「ああ、２９フィートだよ。」
「おい・・・」
「スピードは？」
「３６、うーん３５ノットかな。古くなっちまったし。」
「おい、てめえ・・・」
「なるほどね、よくメンテしてあるみたいね。」
ナミさんは小さな子供みたいにはしゃいでいた。
「おい！てめえら！人のこと踏んづけといて、シカトこいてんじゃねえ！」
船の上で転がっていた物体が口を開いた。
「あら、ロロノア先輩いたの？」
「いたのじゃねー！」
「また俺の船で昼寝してたのかよ。」
「うっせい！ここが一番寝心地がいいんだ、いつものことだろうが。」
「やぁだあ、あんたらそういう関係？」
「違うって！ナミさん。」
「あ？そういうって、どういう関係だ？」
そういえば俺とこいつはどういう関係なんだろう。
同級でガキの頃からの付き合いだが、お互い友達だとかいう意識はねえ。
どっちかっていうと敵対意識の方が強いんじゃないだろうか。
こいつは成績は悪くないくせに物心ついたときから剣道しか頭にねえ。
俺は誰にも邪魔されずに煙草吸いたくてこの船で沖に出るんだけど、ゾロはかっこうの昼寝場所を求めてこのマリーナにやってくる。
追い出してもいいんだけど、これといって邪魔でもないんで一緒に船出したりするわけだ。
何を話すわけでもなし、ただお互い好き勝手な時間を過ごしているだけ。
けど、今は確実にてめえは邪魔だ！
「おい、お前帰れよ、せっかくナミさんが俺の船においでになってんだぜ。」
「お前の親父の船だろ。お前らの方が後から来たんだろうが。」
にらみあう男達二人のことなんかナミさんにはどうでもいいらしい。
気がついたら船着きのもやい綱を一人で外していた。
「ねえ、せっかくだから沖に出ない？こんないい天気なんだもん。」
「あーい！ナミさん！・・・だからお前帰れってば。」
「やなこった。おりゃまだ昼寝が足りねーんだ。」
「これまで満ち足りたことあったのかよ。」
ナミさんは慣れた手つきで帆を張り始めた。ウィンチが回り、ロープがピンと張る。
ああ、そんな力仕事俺達がやりますって。
軽いエンジンが唸りを上げる。ナミさんはヨットの操船を全部マスターしているようだった。驚いたな。
と言ってる間に船は岸を離れ始めた。風を受けて海面を滑り始める。
ちっ！マリモを下ろすタイミングを逃しちまったぜ。
「ねえ、外海に出ましょうよ。」
「ええ？俺、方角とかわかんねーよ。」
恥ずかしい話、俺は店が見えなくなるほどの外海に出たことはないんだ。
操船はできるけど、航法はまるっきりだめ。
クソジジイと一緒に乗ってたときはそっちはジジイ任せだった。
「男二人に女一人だぜ、船の上でもヤラれてもしらねーぞ。」
「いいわよ、好きにすれば。そのかわり私を怒らせたら、もう岸には戻ってこれないわよ。」
ゾロの言葉は俺の下心を盗み読みして先手を打ってきたような気がした。
こいつ本当に邪魔だな。こいつさえいなけりゃナミさんと二人っきり、めくるめく愛のクルージング。
「まずはあの岬を左手に廻るわ。サンジくん、舵取って。ゾロ、ロープ引いて。いい風がくるわよ。」
「あーい、ナミさん！」
「なんで俺がこの女の言うこと聞かなきゃなんねーんだ。」
「あら、ロロノア先輩、ここで下りてもよくってよ。」
「そうだ、お前下りろ。」
「・・・るせえ。」
俺たちは午後の追い風をとらえた。見る見るマリーナが遠くなっていく。
俺たちをしばりつけている日常が遠ざかっていく。
これが俺たち３人の処女航海だった。
この風は俺たちをどこへ連れていこうとしてるんだろう。
俺たちはどこへ向かおうとしてるんだろう。
それぞれが寄るべき岸辺を探し求めて、海へ乗り出した。
そんな日々の始まりだった。・・・sailing days
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