５月の風-3 その日の授業が終わって、俺は美術部の部室へ向かった。 制作中の絵を取り出して、部員達に今日の部活を休むことを伝えた。 何を隠そうこの俺は先月入部したばかりの新入部員だが、溢れんばかりの才能を持て余し、 先輩部員達の尊敬を一身に集めている ただひたすらに俺のアートセンスに恐れおののき、頼むから部長になってくれという、 先輩達の申し出を丁重にお断りした次第だ。 まあ、俺様ほど長と名のつくものに適任の生徒はいないが、先輩達の顔も立ててやれねばという俺の奥ゆかしい美意識だ。 でかいキャンバスを脇に抱えて、校門を出た。 「ウソーップ！！」 後ろからバカでかい声で呼ばれた。もちろん悪友ルフィだ。 こいつは自分で『冒険クラブ』とかいうもの勝手に作ってるんだが、（もちろん、生徒会未公認だ） はっきり行って活動開始以来休止状態なので、放課後は結構暇にしている。 今んとこメンバーはルフィと俺だけなんだが。 「おめえ、どこ行くんだ？家帰るんじゃねーのか」 家とは逆方向に向かう俺を不思議に思って（というより面白がって）ルフィは俺の後をついてきた。 「寺だ。今日は俺の母ちゃんの命日だからな。」 ルフィは俺の顔を見てちょっと妙な表情をした。 こいつは俺に母親が無く、父親も行方不明だってことを余り意識してねえ。 でもそれがこいつのいいトコだ。 変に構えたり、気を使われるのはうざいし、同情されんのはもっといただけねえ。 俺達は二人並んで歩き出した。 「命日？今日母ちゃん死んだ日か？」 ルフィの言葉には何の含みもねえ。悪気も無ければ底意もねえ。だから気に障ることはねえ。 「ああ、早いもんだな、あれからもう３年だ。」 「するってーとアレだな。あのーえーと、・・・さんばいずって奴だ。」 「あのな、酢の物かよ。」 「違うのか？・・・じゃーあれだ、居候がそっと出す奴だ。」 「そりゃ、三杯目だろ！食いモンから離れろよ！」 「無茶言うな。」 「何が無茶なんだよ！三回忌っつんだよ！」 「そう、それだ。」 こんなわけのわからない会話を交わしながら、俺達は寺に向かっていた。 ルフィも母ちゃんに線香の１本もあげたいともっともらしいことを言ってくれるから。 途中の花屋でお供えする花を買った。黄色いガーベラだ。 いつもニコニコ笑っていた母ちゃん、一番苦しいときだって俺の前で笑顔を忘れなかった母ちゃんに 仏前用の花なんか似合わない。 持ち金が少ししかなかったのにルフィが宝払いにしてくれというと花屋のお姉さんは笑いながら、花枝を増やしてくれた。 こいつに頼まれると大概の人間はいやと言えねえんだ。 こいつの役に立ってやりたいと思っちまう。俺もその一人だ。 ほとほと歩いていると母ちゃんの眠る寺の墓地に辿り着いた。 墓の前には先客がいた。細い煙が二筋立っている。母ちゃんの墓にあげられた線香とサンジ兄ちゃんの煙草だ。 兄ちゃんはすぐに俺達に気付いた。 「よう！お前ら早いな。」 兄ちゃんは片手を上げて俺達に声をかけた。 「サンジ！大の男が昼間っからフラフラしてるとろくなもんにならねーって俺の母ちゃんが言ってたぞ。」 「バカ、ルフィ！おりゃやっと昼休みなんだよ。昼飯もさっき食ったばっかりだ。」 ルフィは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。 「さっきって・・・えーと今４時だぞ！サンジ、お前バカか？死ぬぞ。」 兄ちゃんは頭を抱えた。ごめん、兄ちゃん・・・俺の親友はこういう奴なんだ。 「あのな、ルフィ、兄ちゃんはこれで普通なんだよ。食い物屋なんだから、人が物食ってる時間に食事なんてできねーんだよ。」 「なあにー！じゃあ、人が物食ってねーときはいつでもメシ食えんのか！ずりーぞ、それ。俺も食い物屋になる！」 ああ、話しにならねえ、こいつにはレストランの苦労なんて理解できねえ。 呆れ顔の兄ちゃんが煙草を一息空間に吐き出す。 やがて兄ちゃんは俺達の頭を二つ一度に押さえつけた。 「てめーら、くだらねー事言ってねーでちゃんと墓参りしろ！」 俺達は墓の前に中腰にさせられた。俺は両手を合わせて目を閉じる。 隣でルフィの『ごちゅーちょーさまでした』という小さな声が聞こえた。 母ちゃん 母ちゃん、俺な中学になったぜ、見ろ、学生服だ。 母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん・・・ あのな、母ちゃん俺・・・俺・・・ 「ウソップ。」 女の声がした。ええ？母ちゃん？いやまさか・・・ 心臓が口から飛び出るほど驚いて後ろを振り向くと、そこには。 「おう、ビビ！久しぶりだな。」 「ビビちゃん、こんちは。・・・うーん、似合うなあ、清楚なセーラー服♪」 「こんにちは、お兄ちゃん。ルフィさん、おば様にお線香あげてくれてありがとう。」 ビビは腕に花束をを抱え、大きなボストンバッグを持っていた。 ５月の風に水色の髪がふわりと流れる。 「び、びびるじゃねーか！墓場で急に声なんかかけんな！」 「ひどいわ、私のことお化けとでも思ったの？」 「なあに、ウソップがびびったのは君がこの世の者とも思えないくらい綺麗になったからさ。」 サンジ兄ちゃんはごく自然にビビの細い肩に手をかけた。 何も告げずにビビのボストンバッグを持ってやる。 ビビは兄ちゃんを見上げてニッコリと熔けるような笑顔を見せた。 兄ちゃんも煙草を踏み潰して笑顔を返す。 その光景を見ながら俺の胸の真ん中辺りがちくりと痛んだ。 俺がビビに対して平常心を保てないのは、ここが墓場だからってだけじゃなかったりする。 ビビはこの春から私立のお嬢様学校に入学した。金持ちの娘ばかり集まる名門校だ。 通学するのはとても遠いけど、俺達と違ってビビはご令嬢なので、毎日車で送り迎えだ。 ビビは定期券を持って電車通学するのに憧れていたけれど、「痴漢に合ったらどうするんだ！」と父親が泣きながら訴えたそうだ。 「ビビ、お前何だ、その荷物。家出してきたのか？」 ルフィが尋ねた。 「今日はパパが出張なの。だから久しぶりにお兄ちゃんのおうちに泊めてもらおうと思って。」 今日はビビがうちに泊まんのか、そうか・・・へー・・・そう、泊まる・・・のか。 「すすす・・・、好きにしろよ。」 「しばらくお泊りしてなかったから嬉しくって。又前みたいに一緒にお風呂に入りましょうね、ウソップ。」 「ババババ・・・バカヤロー！俺達はもう、ちゅ、中学生だぞ！男女中学にして風呂に入らずっつってなあ・・・」 「何それ、すっごく私傷つく！」 「よし！そんなら俺が一緒に風呂に入ってやる！俺も今日ウソップんちに泊まる！」 「バカ言うなー！だったら俺が入る！ビビは俺の従兄弟だ、ルフィ、お前なんかに、お前なんかにぃー・・・！」 「何言ってるのよ、二人共、冗談に決まってるでしょ！」 「俺はウソはつくが冗談は嫌いだ！」 「俺の父ちゃんは上段が得意だ！」 何だか訳わかんない展開になってきた。（ルフィの父ちゃんは剣道の道場主だ。） 兄ちゃんはそんな俺達を面白そうに眺めていた。少し離れた場所で煙草をくゆらせながら。 どこか寂しそうに、懐かしそうな目で俺達を見つめていた。 「こうしてると思い出すわねえ。」 「ああ、そうだな。俺達にもあんな頃があったぜ。俺とあいつと彼女・・・。」 「ほんと、懐かしいわねェーい。」 「・・・って、おまッ！どっから湧いて出たー！！！！？」 兄ちゃんの背後にはいつの間にか、あれが迫っていた。あれが、あのこの寺の名物住職・・・あの！ 「出たー！オカマ坊主だー！」 「あら、ハナちゃん、随分なご挨拶だわねーい。お母様の命日だってのにィ、坊主に対してそれはないんじゃなーいのー？」 「てめえ、オカマのくせにこいつらに手ェ出しやがったら即刻オロスぜ！」 兄ちゃんがオカマ坊主に向かってすごんだ。咄嗟にビビを背中に隠す。 この坊主は昔から何だか危険を感じる奴なんだ。 「あーらぁ、手なんか出さないわよーう。あんまりねェ、サンちゃんてば。 そうあちしはオカマ。坊主でオカマ。 それの何が悪いってのよーう。オカマが住職やっちゃいけないってお経に書いてあるってのゥ？」 「知らねーけど、多分書いてねえ。」 「ルフィ！相手にすんじゃねえ！」 「あら、ハナちゃん。言ってくれるじゃないの。こうなりゃただで帰すわけにはいかないのよねーい。」 ビビは墓の周りを片付けて逃げる準備を始めた。 兄ちゃんは煙草を踏み消してビビのバッグを持ち直し、撤収の構えだ。 こいつにかかったら大変なんだ。すげえ、武器を持ってるんだ。つかまったらただでは帰れねえ。 「なーんて信心の無い子達なーのかーしらァ。こうなりゃ帰すわけにはいかないわよ！喰らいなさい、オカマセッポー！！」 出たー！棲湾寺の大名物、こいつにかかると一晩中本堂で妙な説教を喰らう。 冗談じゃねえ！今夜はビビと風呂に・・・いや、そうじゃなくて。 「逃げるぞ！撤収だ！」 兄ちゃんが皆に合図した。みんな一目散に走り出した。 兄ちゃんはウォレットチェーンに下げていた車の鍵を取り出す。片手に鍵、片手にビビのボストンバッグ。 両手が塞がっている。それに一番に車に乗り込んでエンジンをかけなきゃならない。 でなきゃ俺達は全員オカマセッポーの餌食だ。 広い墓地を走り抜けて、ビビが少し遅れを取った。それを振り向いて気にする兄ちゃん。 俺はビビの手を掴んだ。手を握って走った。汗ばんでいたのは俺なのかな、ビビなのかな。どっちだろ。 兄ちゃんはヨソのお墓に手をかけると寺の塀を軽く飛び越えた。 おいおい兄ちゃん・・・、バチあたるぞ。いや、もうあたってるか。 すぐさま塀の向こうから兄ちゃんの車のエンジン音が聞こえてくる。 「逃がしゃしないわよー！」 やっと車に辿り着いた。オカマ坊主が俺達に追いつくにはまだ少し時間がある。 車の前で呼吸を整えた。ビビは少し苦しそうだ。 ふわりと白い海鳥が俺達の頭上をすり抜けていく。 目で追うと見覚えがあった。今朝見た鳥だ。 「あの鳥、よく見かけるな。」 誰に言うともなくぽつんと呟いた。 「ハーハー、あのね、ウソップ。フー・・・亡くなった人は白い鳥になって親しい人の所に還っていくんですって。」 ビビが呼吸を落ち着けながら、俺を見上げて言った。 俺はまだビビの手をつないだままだったから、我に返って慌てて放した。 「白い鳥・・・そうか、そうなのか。」 「私が小さい頃、パパがそう教えてくれたの。」 鳥は鳴き声をあげながら俺達の車の上で何度も何度も弧を描く。 「待ーちなさいよー！」 「おい、お前ら！何やってんだ！」 先に車に乗り込んでいたルフィが鳥に見とれている俺達に怒鳴った。 俺とビビが乗り込むと兄ちゃんはサイドブレーキを引いたままアクセルを踏み込んでハンドルを左に目一杯回した。 バウンと大きな音を立てて車は１８０度ターンする。追ってくるオカマ坊主は真っ白い排気ガスをすっぽり浴びた。 「あんたたちー、覚えてらっしゃーい！仏罰が下るわよーう！！」 俺は車の窓を開けて、遠くなっていくオカマ坊主に中指を立ててやった。 白い鳥は窓の向こうをつかず離れず、飛んでいく。 ビビの父ちゃんの言う通りなら、あの鳥は大変だな。 モロッコ行ったり、世界中の海を飛び回ったり、サイドターンする車を追っかけなきゃならない。 母ちゃん、ごめんな。いつもこんな俺達で。 ゆっくりお参りもしてやれねえよ。 毎日忙しくて、騒がしくてさ。 母ちゃん、本当にごめん。 俺、母ちゃんの為に泣くことはもうほとんど無いかもしれねえ。 勘弁してくれな。 ルフィ、ビビ、サンジ兄ちゃん、それからゼフじいちゃん。 今の俺には大事なもんがいっぱいあるんだ。 でも、母ちゃん、あの鳥の声がすごく嬉しそうに聞こえるのは俺の気のせいか？ 車は５月の風の中を駆け抜けていく。 窓から見える街路樹は、あの日と変わらずに黄緑色の葉っぱをいっぱいつけて。 空は見上げるほどに高くて、涙が出そうなくらい青かった。 俺はその日の夜、コンクールに出す絵をほったらかして、一枚の水彩画を描き上げた。 誰にも見せるつもりのないその絵は、一人の女の子が２羽の白い鳥と戯れて、にっこり笑っている。 世界史の教科書で見たような、古代の女王様の衣装を着てるんだ。 女の子は黄緑色の新緑に囲まれて、５月の風にその水色の髪を揺らしていた。 （完） なんとウソビビになっちまった！ 誰のせいだ？（明白） このお話でサンジ兄ちゃんは３１歳です。 なんだか中坊連中と大して変わらない精神年齢ですが、サンジ兄ちゃんはこういう奴です。 後半は人が増えたり、回想と現実が入り乱れて読みにくかったことと思います。 でも１０才のウソップに直接ママの死を語らせるわけにはいきませんでした。 従ってこんなややこしい状態に。（汗） ちりばめてある謎（バレバレ）は今後のお話で・・・ということで。